岡山の牛窓。
閑谷学校では、江戸から明治へ。
竹久夢二の生家では、明治から大正へと、
時間を飛び越える。
「勉強すること」が何よりも尊くて、
片道数時間を歩きながら学校に行ったり、
寮に住み込んで規律と共同生活を学んでいた時代がかつて確かに存在した。
もちろん、今でもあるにはあるのだけど、
学んだ先にあるものが、
あまりに候補が多く、不透明になりすぎて、
子供たち、若者たちはみんな、
学ぶことへのありがたさを
感じることが難しくなっている。
世界に目を向けても、
これだけ高い教育を、
ほぼ、全国民に受けさせている国はない。
そのありがたさをまずは感じて、
そして、その先を考えたいと、
瀬戸内の夕焼けを見ながら想う。